ピアノ物語

私が育った高度成長期は、プチブルな家庭では女の子にはオルガン→エレクトーン→ピアノを習わせる(あ、今でも一緒?)ならわしがあった。先生はたいていが学校の教師の小遣い稼ぎだった。
で、我が家の近所にもそんな先生がいて、まず姉が親戚から電子オルガンを譲り受け、ピアノを習いに。当然、「できればピアノを」と言う先生の勧めでヤマハのアップライトが登場した。その当時小学校1年生だった私も「習いに行くんならピアノ触っても良い」の条件で渋々通った。
その先生が病気を理由に教室を閉められたので、やむなく隣町の同じく学校教師の自宅へ習いに行くが、その先生に馴染めず、やめてしまった。それが中学校に入ったばかりの頃。

高校に入ってやはりショパンぐらいは弾きたくて、帰り道のヤマハ音楽教室の門を叩き、そこで音大出の若い先生に出会い、ツェルニーとソナタを叩き込んでようやっとノクターンにたどり着いたところで、先生の寿退社と私の大学受験で再び、空白の時は流れる。

アメリカに住んでいた頃、時々ヤードセールとかで見かける小型ピアノ”スピネット”が欲しくなって地元のピアノ屋へ中古品を漁りに行った。そこで出会ったのがなんと!Bechsteinベヒシュタインのアップライトだった。古い。音も狂いまくっていたが、他のピアノとは一線を画していた。それは大戦前の初代の工場で生産されたもので、前オーナーがイギリスからNYまで運んできたものとのこと。前オーナーは調律が面倒になってヤマハのグランドに買い替えたらしい、そのオーナーは俳優のヒュー・グラントのお兄さん(銀行員らしい)の奥様だったとか。
ともかくそのピアノを持ち帰り調律したところ、それは「魔法のピアノ」だった。それは素敵な音が響いたのだった。
ただし調律師も「これあげるよ」と古い調律ハンマーをくれた(え?自分でやれ?)ってぐらい調律は狂った。

アメリカを引き上げるとき、迷った挙句ベヒシュタインは置いてきた。日本への船旅に耐えられる気がしなかったから。

娘にピアノを習わせるに当たって、隣町の音大出で教員をしていない先生を見つけ、中古のLESTERアップライトを買った。バブルの浜松では本当に良いピアノが作られていた。アップライトとは思えない繊細かつ大胆な音のするピアノだった。数年弾いて、ドビュッシーを始めた頃、先生が「そろそろグランドピアノあってもいいですよ」と言われたので、中古のヤマハに買い替えた。これがまた曲者で。戦後復興期の作で、ヤマハなのにベヒシュタインの音がする理由でヤマハの歴史から消されていると言う代物だった。いつもの米子のピアノ屋がこれまた素敵に仕立ててくれて(2本ペダルを3本に、譜面置きに透かしの彫りまで入れてくれ、黒も木目に)
で、このグランドが今家にいる。
ヤマハのアップライトは実家を打った時にピアノ屋に引き取ってもらった。またピアノを始める幼い子に優しく相手をしてくれると良いと思う。

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